落書き帳 |
叔父は、今思えばちょっと(ずいぶん?)変わった人だった。
まあ彼はなにしろうちの母の弟だし、母も相当変わってるから、あのラインの家系は変わってるんだろうね。 叔父は兄や私を随分可愛がってくれて、私たちはちびの頃から彼の事が大好きだった。 私の知っていた大人から逸脱していて、なんというか「ユニーク」な人だった。 彼は福岡でカフェをやっていて、それは万人受けするカフェじゃなかったと思うんだけど(彼自身も万人受けしていなかったんじゃないかな)、だけど結構繁盛してて、雑誌にもよく載ったりしてたみたい。 テイストの違う近所のおばちゃんがうっかり入ってきたりすると、「ああ、すみません。今日はもう終わりました。またお願いします。」と店内にお客さんがたくさんいても平気で言う人でした。 「もう閉めると?」とちびだった私が聞くと、「しめんよ」と言いながら、ジャズだかなんだかのレコードを大音量でかけたりしてた。 彼は常連さんに私のことをいちいち紹介したがって、人見知りの私はばつが悪くてそれが嫌だった。さらに叔父はお店においてた『落書きノート』みたいなのに「優子の文章は面白いけん」と言って必ず文章を書かせた。それも嫌だった。「書かんとなんもやらんよ」と言った。なんちゅう大人やねん。 まだこんなに日本人がフランスに行かない時代にパリに行き、福岡の小さな自分の店を、今思うとかなりフランスの街場のカフェっぽくしてたと思う。 あの頃は全然分からなかったけど、今もし彼が生きていたら聞きたいことが山ほどある。 お店のテーブルや椅子、コーヒーカップもひとつひとつ違うものが置いてあったように記憶している。だけど一定のスタイルがあった。今もし生きていたらどんなお店になってたんだろう。 カウンターの下には外国の映画やお芝居、福岡の美術館のポスターがたくさん貼ってあったなあ。 絵心のある人で、アルバイト募集のポスターを描いて店内に貼っとった。彼が亡くなって10年以上たってから母がそれを切り抜いて、突如実家のダイニングに飾ったのには笑った。 ひろちゃんが亡くなって14年。聞きたいことが山ほどある。 最近NHKのFamily Historyという番組をなんとなく毎週のように見てるんだけど、はたまたそういうお年頃なのか、自分のルーツとかバトンとかそういうことをぼんやり考えることが多いの、あたし。
by yukodododo
| 2013-02-19 23:04
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